2018-02

天上の調べは愛を紡ぐ 22

「若い時はね『この人となら今、この瞬間死ねる』って思うような、
激しい恋に落ちるものだよ」

榛原は僅かに懐かしさを湛えた微笑みを浮かべると、
和波の目を真っ直ぐに見つめた。

「でも時をかけて人は変わる。本当に愛し合える相手に出会えた時には、
この人と十年、もっと先まで共に生きていたいと願う、
おだやかな愛へと変わっていく」

「共に、生きる……」

「君がこんな素晴らしい奏者になったのも、
きっと彼と過ごしたかけがえのない日々があったからだろう?」
「それは……」

「感受性が人一倍強い君のことだ。深く傷ついただろうが、
その恋から貴重なものもたくさん得たはずだ。
だから次の恋をすることを恐れてはいけないよ」

自分の心を押さえつけている理由を、
やはり榛原はずっと前から感じ取っていたのだ。

「和波は今も柘植君のことを愛してる?」

「……」

――わからない。
それが正直な答えだった。

五年前、自分を捨てたはずの恋人は、今も愛していると訴えている。
それが嘘ではないことは彼の演奏を聴けばわかる。
それがわかるのは自分しかいないと断言すらできる。

もともと不本意な別れだったのだ。
もう一度やり直せたらという気持ちは、
自分で気づいていないだけで、
心のどこかでずっと燻っていたのかもしれない。

「意地の悪い質問だったかな?」

思考をまとめきれず、沈黙したままの和波に榛原は苦笑してみせた。

「じゃあ聞き方を変えよう。君は今の柘植君が好きかい?」

「今の、宣貴?」

「今の彼の全てを受けとめて愛することができなければ、
君達の関係はすぐに崩壊してしまうよ」

静かに発せられた榛原の言葉は、和波の心の核をまっすぐに貫いた。

「過去をなぞってだけいるのは自己愛の一種だ」

「それは……」

「人はね、生ある限り前を見て歩き続けなければならないものだ。
過去をなぞって愛しているだけでは前へは進めない」

榛原の透徹した瞳には、揺れまどう自分の姿が映っている。

「和波も柘植君も学生の頃とは違って、
今は自分の生き方をしっかりと持った大人だ。もしかすると
二人の心の中には、本当はもう答えが出ているんじゃないのかな」

――答えなんてあるのだろうか? 
あるのだとしたら、誰か教えてほしい。
もしも今、この迷いの森の中で、小さな明かりを灯す一軒の家を見つけたら、
救いを求めて戸惑うことなく扉をたたくだろう。
どの道を選べば正しいのか教えてほしいと希うだろう。

「じっくり考えなさい」

和波の肩を軽く叩いた榛原が、すっくと立ち上がった。
心の中にある答えは、やはり自分自身で見つけ出すしかないのだ。

「送っていこう」おおきに

笑顔で差し伸べられた手はいつものように大きく、
そして温かかった。

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