2018-02

天上の調べは愛を紡ぐ 16

榛原の楽器を借りるにあたり、一つだけ大きな課題があった。

グランドハープは四十キロ近い重量がある上に、
彼の楽器は舶来の古い物だ。
機動性と安全面から考えてもあれを本番以外で輸送することはさけたい。

(リハーサルは榛原さんの家でやるしかないのか……)

この件について榛原はもちろん快く引き受けてくれたが、
相手があの尊大な性格の柘植だということが和波の心を悩ませていた。


「すみません。榛原さんの予定まで合わせていただいて。ご厚意に感謝します」

「思うぞんぶん使ってくれていいよ。部屋の準備はもうできてるし、
先にお茶をいれようか? 今日は高橋さんにも来てもらってるから」

「ありがとうございます。どうかお構いなく」

玄関先でにこやかに出迎えた榛原とは対照的に、
柘植は庭の向こうに見えるコンサバトリーを面白くなさそうに睨みつけている。


「宣貴、こちらが榛原さんだよ。リハーサルにご協力を――」

「Ich freue mich, Sie kennenzulernen(お目にかかれて光栄です)」

ドイツ語でいきなりあいさつした柘植は、
挑戦的なまなざしで榛原に右手を差し出した。

「宣貴!」何言うねん!

しかし、榛原はこともなげに彼と握手をかわすと、
低めのおだやかな声で返礼してみせた。

「Sehr erfreut(こちらこそ)」

柘植の表情が敵がい心一色に塗りつぶされていく。

「すみません……」

「まさか仕事以外でドイツ語が役に立つとは思わなかったけど、
ちゃんと通じて良かった」

すまなそうに目をふせる和波の肩をいつものオーバーアクションでポンと叩くと、
榛原は気にした様子もなく微笑んでみせた。

出会い頭から一触即発な状態に、和波は今すぐ帰りたい気持ちで
いっぱいになったが、一度しかないリハーサルを放り出すわけにはいかない。


「どうぞ。こちらに」

高橋の案内で部屋に通された二人は、
沈黙したままリハーサルの準備に取りかかった。

榛原の微笑みに包まれて優しい音楽を紡いできたこの空間を、
完ぺきで自己主張の強い柘植の演奏が一瞬で破壊してしまいそうで怖い。

先に調弦をすませた柘植は、
書棚に納められた蔵書を気に入らない目つきでながめ、
そして息を止めた。

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