2018-02

天上の調べは愛を紡ぐ 12

柘植宣貴は、和波が学生時代に初めて愛した人であり、
そして失意のどん底へと突き落とした張本人でもある。

「あの頃のまま宣貴でいい。お前の演奏は相変わらず優雅で上品だな。
思わず学生時代を思い出した。お前みたいに弾ける奏者が、
今はこんな所で流し演奏か? もったいない」

不躾な言葉を次々と浴びせかけてくる柘植に、和波は無言をとおした。

指先が震え出しそうになる。
別れて五年、ようやく過去のことだったと思えるようになったのに、
今さら何をしに来たのだろう。


「あの、ご用件は?」

急いでこちらに向かう宮村にちらりと視線をやった和波は、
薄い唇を一文字に引き結び、胸の前で楽譜を抱きしめた。

「ごめん、僕の段取りが悪かったんだ」

和波のかたくなな表情に、宮村が慌ててフォローに回る。
この様子から察すると、宮村の用件は柘植絡みの話にまちがいない。

「いつ、ドイツから……帰ってきたんですか?」

「先週だ。日本は相変わらずせせこましくて、やはり性に合わない」

「……」

柘植と視線を合わせようとしない和波を取りなそうと、
宮村があせった声で間に入ってきた。

「実はねっ、柘植さんの事務所から仕事の依頼が来てるんだよ」

「彼の、事務所?」

和波は宮村の後ろに立つもう一人の若いスーツ姿の男性に目をやった。

この顔には見覚えがある。
クラシック界の一流奏者を多く抱える大手音楽事務所のマネージャーだ。
彼の事務所には日本を代表する有名ハーピストも数多く在籍しているはず
なのに、今回に限って自分に依頼が来るのはなぜだろう?

「俺がお前を指名した」

「あなたが?」 

怪訝な顔をする和波に柘植は勝ちほこったように告げた。

「申し訳ありません。こちらの手ちがいで
白澤さんへのご挨拶と説明が後手に回ってしまい、大変失礼しました」

頭を下げる若いマネージャーの首すじから冷や汗が流れ落ちる。
恐らく手ちがいなどではなく、
柘植が思いつきで勝手に行動して彼らを振り回したにきまっている。

「――この度の柘植の帰国公演に際しまして、ぜひとも白澤さんに
デュオコンサートという形でご共演いただきたいと思っています」

(そういうことか……)

久々に入ったクラシック方面の、しかも話題性の高い仕事は
事務所にとって逃がしたくない話だろう。
しかし、もうこれ以上柘植に関わりたくはない。
もうあの日の自分ではないのだ。

「そちらにも一流のハーピストが大勢いらっしゃるはずです。
僕に依頼しなくても――」

「事務所が手配した奴は俺が断った」

言葉をすべて聞くことなく、柘植はつまらなさそうな顔で言い放った。

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