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『プライド狂奏曲』 読み切り番外編

紆余曲折の末に思いが通じ合った、
強気バイオリニストの加納顕彰(かのうけんしょう)と
俊才コンサートマスターの結城明星(ゆうきめいせい)。
休暇を取った加納は結城のもとに帰ってくるのですが……。
二人の馴れ初めがちょっと気になる方は、ぜひ既刊の『プライド狂奏曲』と『悪魔のフィナーレ』でお会いしましょう!

 


 ――春が…呼んでいる…………。

瞬きを繰り返しながら、結城明星は若草色の光に目を慣らしていく。
緑色のカーテンをすり抜けた光は、壁の鏡に反射し、寝室をペリドットのような直方体へと作り変える。
目覚まし代わりにセットしておいたプレイヤーは、ベートーヴェンのバイオリンソナタ「春」を軽やか奏でていた。

(止めないと……)

隣で眠る加納顕彰の睫毛が、微かに震えている。
手を伸ばしてリモコンを掴む。音楽を止めてやると、加納の眉間から小さな皺が消えた。

(ゆうべもヤってしまった……)

ほんのりと赤く染まった加納の目元に、結城は昨夜の情事を思い重ねる。

『や、だ。放せ…っ!』
『素直にイキたいって言えばいいだろ? 涙まで浮かべてるくせに』
『誰が! ひっ……』

力を加減しながら、一定のリズムで熟れた粘膜を小突いてやる。
それでも加納は、切れ長の目をきつく釣り上げて気丈に抵抗した。

『泣く、もんか…っ』

その言葉とは裏腹に、加納の眦からぽろり…と涙の粒が一つあふれて落ちた。

『ぁ…』

彼にとって、抱かれている事よりも、涙をこぼしてしまったと知られる事の方が、耐えがたい屈辱なのだろう。
その瞬間に見せた、加納の焦りと羞恥に満ちた瞳が、一夜明けた今でも忘れられない。

(あれは反則だろう……)

泣いたのを見られまいと、必死に顔を背けるのだが、
睫毛を濡らしていた涙がもう一粒膨らみ、形を成して落ちていく。

その様子があまりにもいたいけで、つい手加減なしに抱き散らしてしまった。

(もっと素直に甘えてくれたら、優しく抱いてやるのに)

白銀を抱くアルプスの嶺々よりも崇高な、加納のプライドを崩すのはいつも一苦労だ。
気付けばいつも泣かせてしまう。

「ごめんな……」

そう呟きながら、彼の黒い髪をそっと梳いてやる。
くすぐったそうに身じろいだ後、加納は小さく寝返りを打った。

「ん……。白いご飯…食べ、たい……」
(え?)

幼い言葉で発せられた加納の寝言に、結城は双眸を思い切り丸くした。
普段の偉そうな態度と言葉遣いからは、到底想像もできない、可愛らしい言葉だ。

「白い……ご飯……」

唇をもぐもぐさせながら、もう一度同じ言葉を呟いた後、加納は再び沈黙してしまった。

「………!」

 ――米! 炊くぞ!

ベッドから跳ね起きた結城は、着替えることも忘れ、大慌てで米を研いだ。

なんだか保護した雛鳥に、初めて餌をやる時にも似た、緊張と高揚感だ。
ドイツでの一人暮らしに加え、演奏旅行で世界中を飛び回っているのだから、和食が恋しくなるのも無理はない。
あの性格だから、本当は食べたくても、なかなか言い出せなかったのかもしれないじゃないか。

「わかってたら材料を用意しておいたのに」

しかも、昨夜はあんなに暴れたのだから、腹も空くはずだ。
こうなったら完璧な和食の朝ご飯を再現して、あの偉そうな面に「美味しい」と言わせてやる。
もしも笑顔で可愛く言えたなら、今夜は蕩けそうなほど優しく抱いてやってもいい。

ほどなくして炊き立てのご飯にほうれん草と豆腐の味噌汁、
出汁巻き卵と焼き海苔に小魚の佃煮という、
質素ながらも完璧な和朝食が完成した。



「何で赤なんだ?」
「は?」

テーブルに並ぶ朝食を見るなり、加納がこぼした一言に、結城は自分の耳を疑った。

「朝は、味噌汁は白って決まってるだろう」
「お前、この間、鰻屋でわざわざ赤出汁にチェンジしてもらってたじゃないか」

連れていった鰻屋で、加納が肝吸いを赤出汁に変えさせたことは、記憶にまだ新しい。
あの一件で、加納は赤味噌が好きなものと思い込んでいた。

「あれは、鰻の濃い味には、肝吸いよりも赤出汁が合うからだ。
朝は腹に優しい合わせ味噌が、日本の朝飯の常識だろ?」

(お前が言うのか? 常識って言葉を、よりにもよってお前が!)

「くっ……。そう、か……」

怒鳴りたくなるのをぐっと堪える。
赤だの白だのワインじゃあるまいし、朝っぱらから食べ物のことで喧嘩をするなんて、
バカバカしいにも程がある。

互いに育った環境が違えば、加納の言う『常識』とやらも違うだろう。
百歩譲ってそういうことにしておいてやる。

席に着いた加納が小さなため息をつく。
懐かしそうな声音で呟いた一言が、結城を更に驚愕させた。

「ドイツパン…食いたい」
「はっ!?」
「しばらく食ってないから、懐かしくなってきた」

少し伏せた睫毛が、憂いを帯びた影を頬に落とす。

(白いご飯が食べたいって言ったじゃないか! ついさっき!)

言った。確かにそう言った。寝言だったが……。

「ドイツの中でもフライブルクは南部だから、ライ麦と小麦の配分が北部とは違うんだ。
けどさ、これがまた絶妙に美味くて。
今度フライブルクに来たら結城にも食わせてやる。絶対気に入るはずだ」

偉そうな物言いが、一つ一つ結城の癇に障る。

「っ……。それは、どうもありがとう……っ!」

――泣かす! 今夜も絶対に泣かす!

加納の言葉を、それも寝言なんかを真に受けた自分が大バカだった。
今夜は、昨日以上グチャグチャになるまで抱いてやる。
泣きながら「ごめんなさい」と言えたら許してやってもいいが、
加納の性格上、それもないことはお見通しだ。

「冷めない内にさっさと食ってくれ」

苛立ちの原因は、さっさと食べてしまうのに限る。

「結城は、箸の持ち方も綺麗だな……」
「それはどうも」

そんなことを誉められたって、今更嬉しくも何ともない。

「俺、本当は左利きなんだ」
「え?」

箸を持つ右手に落とされた彼の目が、どこか儚げに揺れる。

付き合って半年経つが、加納が左利きだったなんて初耳だ。
確かに箸使いは少しぎこちないし、字はお世辞にも綺麗とは言いがたい。
だが、普段から箸もペンも右手で持っているし、
日常生活を共にして、それに不自然さを感じさせることは、一度もなかった。

「子供の頃に無理やり直したけど、そのせいか字も結城みたいに綺麗じゃないし、
咄嗟の時に左手が先に出ると、結構不便でイラッとする。ドアのノブとか電話とか」
「………」

幼い頃から人一倍勝気だった加納のことだ。
他人にできて自分にできないことなどないと、躍起になって直したのだろう。

加納の演奏の特徴が、これで少し理解できたような気がする。
先天的に反射の速い左手が、超人的なフィンガリングを可能にし、
コントロールを磨き抜いた右手で弓を自在に操り、
重厚なボリュームと表現を作り上げるのだ。

その演奏が、幼い頃からのコンプレックスと、努力から生み出された物だとしたら、
誰も彼を無責任に天才呼ばわりできないだろう。

「箸を綺麗に持つのにも、ちょっとしたコツがあるんだ」

静かに席を立った結城は、加納の背後に回り、そっと左肩に手を置いた。
こうしてやると、加納が案外大人しく従うことを、結城はよく知っている。

「まず親指の付け根で箸をしっかり挟んで」
「こう、か?」

おずおずと伺いを立てる眼差しが不似合いで、それが堪らなく愛おしい。

「ああ。上手だ。その先を薬指の第一関節に押し当てたまま、
もう一本の箸を人差し指と中指の間に、こうやって入れる」

「本当だ。結城と同じ持ち方になった…」

仕上げにもう一つ、おまじないの言葉を掛けてやる。

「弦バスのジャーマンボウをイメージしてみろ」

「!」

コントラバスの弓の持ち方には、フランス式とドイツ式の二種類が存在する。
バイオリンと同じスタイルで、手の甲を上にして弓を構えるフレンチボウに対し、
箸使いと同じように、手の甲を下側に向けて構えるのがジャーマンボウだ。

一重の目を一際大きく見開いた後、加納は厳しい眼差しで自分の右手を見つめた。
そして、自信たっぷりにこちらを振り仰いだ。

「理解した。もう問題ない」

さすがは加納顕彰だ。
弓使いに絡めて考えれば、苦手な箸使いすら自由になれるらしい。

加納がご飯を箸先で、そろそろと口元に運ぶ。
ゆっくり咀嚼してそれを飲み込むまで、見守ってやる。

雛鳥は、与えた食事を気に入ってくれるだろうか?

「美味いな。ご飯」

朝の光の中で向けられた素直な笑顔が、結城の決意をより確かなものに変える。

――泣かす。今夜も絶対に泣かせてやる。

(可愛すぎるだろう、これ!)

生意気でも泣かす。素直で可愛くても泣かす!
そんな結城の思惑を知ってか知らずか、加納は満面の笑みで茶碗を差し出した。

「おかわり!」





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